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最遊記の原作コミックには、人物紹介の欄に、悟浄の項目として、他の
3人との関係が簡単な言葉ながら当を得た表現で書かれており、ファン
サイトでも、よく引用されているようです。
「 八戒とは親友、悟空とは喧嘩友達、三蔵とは悪友 」 という、例の文句
です。

それ以外に、作者の画集のなかに、ラフスケッチと一緒に記載された
文章があって、こちらには全6通りの相関関係が網羅されています。
御存知の方も多いと思いますが、一応、抜書きしてみると、

三蔵&悟浄 悪友同士。 三蔵不本意 (笑)
悟浄&悟空 バカ兄弟。 カッパ vs サル
八戒&悟空 先生と生徒。 注・小学校の。
悟浄&八戒 親友、かなやっぱ。
三蔵&悟空 親子。もしくはペットと飼い主。
八戒&三蔵 無題 (笑)

・・・ だそうです。


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以下は、それに対するわたしの感想ですので、「 他人の感想なんか
知りたくもねえっ!」 と仰る方は、ここで引き返して下さいネ!


大納得したのは、バカかどうかはともかく、悟浄・悟空の兄弟という部分
と、八戒・悟空の先生と生徒という位置付け。
異論を差し挟む余地も無さそうです。
悟浄と悟空は元気の良い兄弟に見え、八戒と悟空は、低学年の受け持ち
に慣れた教師と、出来の悪い生徒のようです。

逆に一番そういう気がしないのが、三蔵・悟浄の悪友説。
一般に悪友と言うと、親しいことにはとても親しいが、その親しく一緒に
居て共に目指す内容が、悪事であったり不道徳であったりするという
イメージの言葉であるため、その点で、いまいちピンと来ませんでした。
どちらかと言えば、気が合うからこそ集まっている4人の中では、片方が
接触嫌悪、もう片方が過剰接触のために、取り合わせが悪い程度の
間柄であるように感じています。
全部を 「 一言 」 で表しているから ・・・ というなら、わたしなら差し当り、
「 煙草友達 」 とでもしておくかも知れません。

三蔵・悟空の親子にもやはり、ちょっと違和感がありますよね?
三蔵が親をやれるほどに枯れていないのと、すぐにペット云々が一緒くた
に取り沙汰されるため、この記述は実は、最遊記の中でも一番好きに
なれない部分です。
( たとえ血の繋がった本物の親子でも、親は子供の飼い主なんてもの
じゃないぞ!という意味!)

あと、三蔵・八戒の 「 無題 」 は、幾ら何でもちょっと寂し過ぎるのでは
・・・ ? と感じます。
何か言ってあげて下さい。・・・ とは、思うものの、確かにこの二人には、
「 無題 」 が駄目なら 「 絶句 」 とか言ってしまいたいような雰囲気が
ありますよね。
4人の出会いのエピソードで、八戒だけが誰より為す術の無い状態で
発見され捕らえられるという形で三蔵に出合っているため、立場は最低
の筈なのに、何故か言葉遣いだけが最下位で、していることは実質的に
リーダー格であったりする、訳の分からないキャラクタとなっています。

妥当な線で理由を付けるならば、前世の天蓬時代に彼が指揮を取って
いた癖が、皆に残っているのだろうかとも思うのですが、それが正しいと
すれば、現世の悟浄の立場も、もう少し良くなっているべきなのにそう
なってはいません。
だから、余計に納得いかない気がします。

最後に、悟浄・八戒の親友コンビについては、まぁつまり、親友ですよね。
異存はありません。・・・ 2人の関係に関する限り!

しかし、自分自身が他人に対して控えめで、常に距離を保ち、どちらかと
言えば神経質な付き合い方をする人物が、人から触られることにあれ
ほど無神経で無防備だなど、有り得るだろうか?という疑問は残ります。
八戒の他人に対する接触の感覚 ( 生物学的にはテリトリー意識の一種
らしいですが。) は、三蔵の対極として描かれている所為か、完全に
無防備です。
同居時代のあった悟浄や、お子様と見做している悟空に好きなだけ触ら
せているのは、まあ分かるとして ( 本音、分かりたくも無いですが!)
この人の接触寛容 ( ← 今作った単語!) は、相手が敵妖怪であっても
同じなんですよね!!
どんな場合にも他己による過剰な接触に対して全く不快感を示さない、
有り得ない性格に描かれているような気がするんですけど ・・・?
(。・・。)(。. .。)ウン
 
 
 
 
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手書きの一覧表を載せていたのですが、数が多くなってきたのと、元々
見難かったので、新たに作り直しました。

新しい記事は こちら です。↓ クリックして下さい。
http://akira1.blog.shinobi.jp/Entry/504/


最遊記の関連商品には、殆ど何にでも手を出している感じですが、実は
一番気に入っているのが、ドラマCD なんですよね。

派手な戦闘シーンの有るアニメでもなし、見所の大半が台詞の遣り取り
と言い回しですし、この最遊記に限っては、画面に視線を奪われない分、
こちらの方が良いという場合もありますよね?
仕事しながら、とか、携帯プレイヤーでの聞き流しも出来ますし ・・・ 。
それに、アニメに比べれば、そりゃもう断然、原作に近い!


・・・ てなこと、書いていたんですが、他のメディアの関連商品と合わせて、
アマゾンのインスタントショップを作ってしまいました。
雛形があって、差し替えが簡単ですから、個人で維持するには楽だった
もので ・・・。 ヾ(- -;)

申し訳有りませんが、上記のリンクを使うか、右サイドカラムのリンク欄に
ある 『 関連商品 』 の所をクリックして下さい。 
 
 
 
 
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注 :
2008年9月現在の WARD 最新刊、2008年11月号 の感想は、
http://akira1.blog.shinobi.jp/Entry/522/ ← クリック♪
に載せています。



昨夜はとうとう他の仕事で、本の梱包すら解けずじまい。
今朝やっと読むことが出来た 「 最遊記外伝 3巻 」 でしたが、ひと言で
いうと、やはり面白いんですよね、この作品は!

旅行していて、街から街へ移動、移動したら宿をとる ・・・ 定型があって
そこにどうしても、ある程度の惰性が加わる現世編 ( ← 言葉作るなっ
て!) と違って、話が前へ前へと進みますからね。
それに、4人の関係が比較的横並びであって、何とか指令を出している
のが、連用形の 「 ~~してっ!」 を命令形の代わりに使うような、天蓬
だけというチームですので、4人の個性が誰に押さえ付けられることも
無く、より強く表に出てしまう点でも興味深いと感じます。

ただ、一方で悲劇に終わらないと現世に繋がらないため、何処をどう通
ろうが破滅に向かうしかないという制約に縛られてしまうのが、どうにも
苦手です。
臆病なので、暗いところで途切れること怖さに連載は読まず、ある程度
話がまとまってから出されるコミックス専門ですが、書籍化されていても
中々素直なところで切れてはくれません。

でもまぁ、何処で切れていようと最終的には全員玉砕なんでしょうねぇ!
「 うら最 」 の悟空のように、「 怖えぇ~~!」 を連発しながら、恐々と
読み進んで行く他ないようです。


    ( この先、ネタバラシ有り!それでよければ、右下をクリック!)

 
レトリック ( rhetoric ) という言葉を御存知でしょうか?
日本語にすると、レトリック というカナ書きそのまま、もしくは、修辞学・
美辞学となります。
時代順に、美辞学 → 修辞学 → レトリックと呼ばれることを好まれて来た
という経緯はありますが、修辞学が、広義に 「 読者の感動に訴えて説得
の効果をあげるために言葉や文章の表現方法を研究するもの 」 を言う
とした場合、レトリックは 「 実質を伴わない表現上だけの言葉。表現の
巧みな言葉。」 ( 以上、三省堂 大辞林による ) という、もう少し狭義の
意味合いで使われることが多く、修辞学の一部とも言えるでしょう。

そして、「 実質を伴わない表現上だけの言葉 」 というなら、レトリックの
技法の一つである撞着語法は、最もレトリックらしいレトリックだと思い
ます。
撞着とは、突き当たること・ぶつかることで、矛盾と言い換えれば、より
平易な言葉になるでしょうか?
実際、矛盾の入る位置に撞着を入れ替えても、言葉はそのままの意味
で成り立つ事が多いのです。
例えば、自己矛盾 → 自己撞着
矛盾しているじゃありませんか → 撞着しているじゃありませんか
と、言い換えても意味が変わりません。*

では、どうやって矛盾で読者の感動に訴えて説得の効果をあげるのか?
・・・ ですが、まぁ、エッシャーなどの 「 騙し絵 」 のようなものだと思って
下さい。
エッシャーの代表作の幾つかは、遠近法を逆手にとって有り得ない世界
を具現させています。
実際の視界になら必ず働く遠近法を、それを無視出来る絵の中に持ち
込むことで、人々の前に見たことの無い世界を披露している訳ですね。


クリックして下さい。少し大きくなります。
      Maurits Cornelis Escher ”Waterfall”


撞着語法を簡単に説明すると、それの文章版のようなものです。
物理則に従えば有り得ない事象も、言葉の上でなら存在可能という点を
利用して、読者にこれまでに無かった表現を提示します。

短く例を挙げるなら、

『 耳を聾 (ろう) せんばかりの沈黙 』 とか、
『 大都会という名の孤島 』 てな感じ。

実際には起こり得ないのですが、読むとそれなりに、非常に静まり返って
いたのだろうとか、賑わっていながら殺伐とした都会の風景なのだろう
とか、感ずることが出来ます。

そうそう ・・・ 実は真ん中に、「 という ( 名の ) 」 を入れると、撞着語法
って、いくらでも作れるんですよね。
( もっとも、毎回同じ形式では、いくらでも発表出来るかどうか、には責任
を持てませんが ・・・。)
要するに、「 という ( 名の ) 」 を挟んで、現実では並列できない2つの
事象を並べれば良いということです。

『 愛情という名の憎悪 』 とか、
『 賢者という愚者 』

勿論、単語を入れなければならないというものでもありませんので、文章
を入れても一向に構いません。

『 君を壊したい、地獄に突き落としたい ・・・ それほど君を愛している。』

など、感ずるところはあるでしょうが、現実に持ち込むと相手を怒らせるか、
警察のお世話になることでしょう。

或いは、

『 大都会の人ごみの中に立つと、私を襲ってくるのは痛いほどの静寂 』

と、普通に繋ぐのもOKです。

何となく、撞着語法が見えてきたでしょうか?
まぁ、修辞技法などというものは、書物で文章を読む機会の多かった
一昔前なら、殊更に名を付けて説明してもらわなくとも、読み込んでいる
うちに自然と体得出来たものであったのですが。
今だって勿論それは出来ますし、感が良いというか、文章の雰囲気を
飲み込むことが早い人であれば、少ない読書量でも、何となく無意識に
使えるようにはなるものです。

ただ ・・・

その、無意識にでも使えるようになってしまう理由が大半、「 虚仮脅し 」
なのが、ちょっと気になるところです。
もともと、この手のレトリックには実態が有りませんので、虚仮脅しに
なり易い性質を持つものなのですが、やはり、人が使用しているのを
見ていても、「 虚仮脅し 」、或いは 「 格好付け 」 のために持ち出して
いることが多いと感じます。

故に、わたし自身は然程好きではありませんが、これまで余りレトリック
に触れたことの無い世代には、新鮮にでも感じられるのでしょうか。
ある意味、受けが良いようですね。


『 背徳の美学。堕落という進化。殺意に濡れた愛撫。』
『 それは残酷なほどひたむきな魂のカタチ。』

     ( 三蔵の絵・悟空の絵に添えてあった散文詩?より )


クリックしても何も出ません!

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良く出て来ましたよね、撞着語法!
こういうファンサービスみたいなところ以外にも、漫画の切れ目切れ目に
差し込んである絵に時々書き込まれています。

八戒に宛てた ( のか?) 散文詩だけは、ちょっと趣きの違ったものに
なっており、八戒らしい穏やかで少々間の抜けた洞察に、皮肉の利いた
付け足しをするという手法が使われているようです。

『 サボテンさんは人のココロが判るそうです。』 ( だからこんなに
トゲトゲしてるンでしょうかねぇ?)

ここでは、前半はレトリックでも何でもない、のんびりと一般論を述べて
いる状態。
後半は、「 人の心が判る 」 というほのぼのした特性を一気に覆すかの
ような、「 トゲトゲしている 」 という評価。
この場合、本体と括弧書きの付け足しを対義結合させている訳で、2文
に亘る撞着語法とも受け取れます。

また全体的に、世間で一般的なことと真っ向から反対のことを言うことに
よって、そういった別の考え方もできるよと改めて考え直すことを促すと
いう、逆説法でもあります。

複合効果のようで、分類はし難いのですが、一度掴んだ語調を繰り返し
使い続けられるという点で、作者はこういったレトリック全てがお好きなの
かも知れませんね。

この場合の語法を真似ると、

『 命って大事に使えば一生もつんですよ。』 ( 実は粗末に使っても
一生もつんですけどね!) 

などというものが出来上がります。

皆さんは、レトリックがお好きでしょうか ・・・ ?


注 :

いくら何でも定義が独自ではマズイだろうと辞書を引いた分と、最遊記
から抜き出した部分以外は、わたしが適当に並べ立てただけのもので、
参照文献などは、特にありません。
例文も、その場その場で適当に拵えた独自のものです。

* 実は、撞着語法自身をも、矛盾語法と言い換えることが出来るので、
「 矛盾 」 の方が平易な言葉だと思うのなら、最初から矛盾語法って
言えよ!と叱られそうですが、レトリックに関しては、「 撞着語法 」 と
いう呼び名の方が知られているように感じますので、そちらを紹介しま
した。
 
 
 
 
( 注 : 何時もと語り口が違い乱暴です。苦手な方は御遠慮下さい。)


ドラマCD 最遊記 第十一巻  ドラマCD 最遊記 第十二巻
ドラマCD 最遊記 第十一巻   ドラマCD 最遊記 第十二巻


原作漫画の第5巻の大半を占めるのが、「 BE THERE 」 という原題の
エピソードで、TVアニメ 「 幻想魔伝 最遊記 」 で、第15話と16話の
2回に亘って放送されたのと同じ部分です。

このときの "BE THERE” は、三蔵・悟空・悟浄の三人の、八戒 ( 当時
の悟能のこと。以下同様。 ) への気持ちだと思われますが*、中でも、
特別にその気持ちが強かったのが悟浄でした。
( 実行力では悟空の方が一枚上手 (うわて) であったようですが!)

しかし良く考えてみれば、悟浄といえば、「 アンタさえ居なければ良か
った!アンタさえ居なければ ・・・ 」 が口癖の妖怪の継母に散々な目
に遭わされて育ったという過去を持つ人物です。


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ま、こんな御時世ですから、物事を極端に表現することも多いですし、
中でも漫画の中ともなれば、「 お前さえ居なければ!」 と子供を呪うか
のような台詞を口にする親くらい、掃いて捨てるほどに度々登場します。
最近の漫画には、悲惨に描くといったら、トコトン悲惨に描きたがる傾向
も顕著で、親が子供を殺そうとするくらい、もう当たり前の世界です。

ただ、悟浄の扱われ方は、他の漫画とは多少異なっています。
その過去を殺人や弱い者イジメ等の言い訳にはしていない点、本人の
捻くれた性格とか、他人に対する冷たい仕打ちの深層心理的要因として
利用したりはしていないという点で、他のキャラクタとは一線を画して
いるように見えるのですが、どうでしょうか?

悟浄というキャラクタは、節つきの 「 結果オーライっ♪」 といった軽い
ノリの台詞が口癖の、少々軽薄な人物として描かれる場面が多く、性格
は大雑把、態度は常に悪く、酒・煙草・女・ギャンブルに興味があると
されています。
そして同時に、本人がそう見せたい程には悪にも徹しきれず ・・・ どころ
か、誰の目にも、お人好し丸出しとしか見えようが無い若者、というのが、
最初からの設定です。

そんな彼が、彼の持ち味である優しさを最大限に発動させてしまったのが、
この 「 BE THERE 」 の話であり、皮肉なことに、この時彼が八戒に惜しげ
も無く与えようとしたものが、自身が子供時代に金輪際得られることの無か
った、「 生きていて欲しい 」 という、他者からの 「 存在の肯定 」 であった
・・・ という、矛盾した因縁を感じさせる物語でした。
( 尤も、本人は、その後に If allowing him to die is kindness ... this is
my ego ... と自問してみたりと、相当に苦し気な様子でしたが。
・・・ って、ゴメン!この巻も日本語版を持っていません。 (ノ_-;)ハア… )

漫画の中の架空の人物だから、そんなことが言えるのだろうと、思われ
るかも知れませんが、現実社会の中でもやはり、子供時代に虐待された
経歴を持っていたり、過去に親族の自殺に出遭ったりした者が、かなり
の率を占めるまでになっています。

その人口の大きさを考えるなら、悟浄のような徹底した博愛主義者には
ならないまでも、圧倒的多数の人間が、犯罪と無関係に平凡に過ごし、
さらには、その内の何パーセントかが、それらの体験を反面教師として、
自身の家族に全く逆の環境を与えようと努力するのだろうと考える方が、
現実的です。

だからこそ、たまには漫画やアニメの中でも、このように描かれることが
重要だと思います。
いつもいつも、サイコ野郎に描くのではなく ・・・ です。
子供達にも、過去の傷は自身が将来犯す犯罪の免罪符にはなり得ない
という風に理解しておいて欲しかったですしね!


ここまで鬱陶しい詳細を付けて書いたのは初めてですが、それにしても
その周辺については、これまで何度も何度も書いてきました。
何で今更もう一度書くんだ?とは、自分でも思いましたが、ある人物の
言葉 ( 或いは、信念でしょうか?) を拝聴していると、ついついね ・・・。

ある人物とは、勿論、光市母子殺害事件で加害者の元少年とやらを
弁護しているんだか、本当の意味で地獄に堕とそうとしているのだか、
次々と、これまで聞いたことも無かった珍妙な人間の行動原理を披露
している、あの安田好弘弁護士のことですが。

この人が言い立てた山のような呪われた言い訳の一つに、またしても
被告人の、「 母を自殺で失った心の傷 」 が上げられていました。
最近の裁判では、しょっちゅうこういった言い条が、法廷に持ち出されて
しまうようです。
自殺に、虐待に、酷い時には単なる早世まで、よくもまぁ!と思います。

一人の加害者を救うために、子供時代の心の傷を言い訳に使うことは、
同時に、その他の何万、何十万といる同じような境遇で育った者を、
犯罪者予備軍だと定義していることでもあると、どうして理解できない
のでしょうか ・・・ ?

ま、それ以前に、どんな重罪を犯したものにも、最大限の弁護が与え
られる必要があるという原則の意味は、そのためになら、何処までも
被害者とその関係者を侮辱しようが踏み躙ろうが構わないという容認
とは、全くの別概念だと、知って欲しい気がしますけれど!


参照 :

事件そのものと、件の鬼畜以下の弁護士については、ウィキペディア
( Wikipedia ) 光市母子殺害事件 に、整理されて載っています。
そちらを御参照下さい。

なお、作品 「 BE THERE 」 自体のストーリーについては、過去に、
・遠く微かな記憶 ~ そいつは俺を見て笑った気がした 。~
 http://akira1.blog.shinobi.jp/Entry/274/
・この笑顔! ( 別物語の最遊記 ・・・? )
 http://akira1.blog.shinobi.jp/Entry/282/
辺りで、解説していました。

* 通常の be there
be there は、「 力になる、相談にのる 」 の意
I'll be there for you.
力になるよ。相談にのるよ。
こちらの方が、それ自体の意味が前面に押し出されていて、be there
自身の意味が限定される分、分かりが良いかな?
Your mother will always be there when you need her.
お母さんは、君が必要とするときはいつも力になりますよ。

・・・ てな感じ。

でも、当の悟能を除く3人の中に、( そうしようとする奴はいても )
それを表明しようとする者などおよそ、居そうにも無く、作者が
どういう意図で使っているのか、本当のところは全く知りませんww
 
 
 
 
新着情報
( このブログ以外の場所に置いており、下欄の 「 最新記事 」 に載らない内容です )

「生存者」 ~ 蛙灰皿秘話 ~
 2008/11/11

「憐情」
 2008/10/16

「行くな!」君去りし後裏返し編
 2008/09/21

「風車」
 2008/09/04

「贈物」
 2008/08/27


 ご訪問ありがとうございます。


 ここには、最遊記についての

 エッセイ、その他の雑文を

 置いて居ります。

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