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何事にも不器用な性格ですが、中でも、人を喜ばせるような文章は得意
ではありません。
「 100質 」 なんていうのはその典型です。
まさか、自分で答えて自分で読んで受けるという人もいないでしょうから、
結局はサービス精神ということなのでしょうが ・・・ 持ち合わせては
いません! ( ̄~ ̄;) きっぱり!

さらに、放映後時間も経過しており、今更だとも思いましたが、それでも
連載とOVAが現役で継続中なので、一応載せてみました。

全く期待しないで下さいね。
完璧に下手糞ですから。
また、最初にお断りしておきますが、誰が攻めで誰が受けか?式の質問
の入っている100質を採用してはおりませんww

そちらを期待される方は読んでから怒り出さずに、この場で退却をお願い
します。


http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/7ee753b2119e8560e6f313ff36b89172/1186706657


 
 
 
 
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最遊記外伝 (01) (ZERO-SUM COMICS)  最遊記外伝 (02) (ZERO-SUM COMICS)  最遊記外伝 3巻 (3) (IDコミックス ZERO-SUMコミックス) (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)
最遊記外伝 (01)     最遊記外伝 (02)     最遊記外伝 3巻 (3)


最遊記に外伝があることは、少なくとも今これを読んでおられる方なら
全員が御存知だと思います。
原作者は 「 別物として読んで欲しい 」 と希望しているらしいのですが、
アニメ版を見たことのあるファンには、かなり無理のある御要望だとしか
言いようがありませんよね?
初回シリーズの後半に採用されたオープニングには、天界に暮らした
4人が映し出されている鏡が割れて、それぞれの立ち位置もそのままに、
現世の4人となって現れる、というイメージが挿入されているのですから!


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その上、吹き替えも現世の4人がそのまま担当しており、特に声を変えて
演じ分けている、といった様子もありませんでした。
( 英語吹き替え版でも、全く同じ扱いです。)
更に、アニメ版の場合、物語の最初から、もうチラチラと、外伝での姿が
見え隠れしていましたし。

そういう状況でしたが、一応、本格的に天界での4人の暮らし振りが
描かれるようになったのは、第27話 ( 第3クールと呼ぶのでしょうか?)
以降でした。
外伝の導入部分が、数回に分けられて挿入されています。
( ある程度まとまって出てくるのが、第40・41・45話で、あとは数カット
づつ採用されているという感じです。)

正直、中途半端の感が否めず、何故・・?といった声が多かったのにも
頷けます。
ファン雑誌だったか何だったかに、「 せめて、花見のシーンまで入れて
おけば、一区切り着いたろうに 」 という投稿を見掛けた時には、「 なる
ほど!」 とも思いました。
夜中に4人だけで花見の宴を楽しむあの場面は、本当に美しく描かれて
いたという以外にも、悟空がそれを、忘れ得ぬ思い出として心に刻んで
いたことから、悟空の思いを辿る形にでもすれば、現世の4人に話を
繋げるのにも都合が良いだろうに、と感じたものです。


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では、何故実際には、こんな所で切られたのだろう?を考えると、結局、
TV版オリジナルのキャラクタとして後半に登場した、焔 (ほむら)・是音
(ぜのん)・紫鴛 (しえん) の3人と、三蔵たちの4人を関連付けるのが
目的のようです。
別に確認を取った訳でもありませんが、そう考えて見直すと、取り入れ
方に過不足が有りません。

4人の ( うち3人の ) 名前を天界時代のままに呼ぶ焔達が、少なくとも
焔達の側からは、金蝉、捲簾、天蓬 + ちび悟空を知っており、その絆
の強さにある種の憧れを持っていた、という設定を作っているのでしょう。
上に載せた画像は、乱闘のエピソードを経て、より親密になった4人が
( 金蝉と捲簾については責任持てませんが^^ )、通り過ぎて行く所を、
是音・紫鴛と敖潤、さらに焔が、それぞれの思いを抱きながら、眺めて
いる様子です。

( そう言えば、劇場版幻想魔伝最遊記にも、三蔵たちからは殆ど気にも
留められていなかったにも関わらず、自分側からは強い羨望と共に彼ら
4人を眺めていたという人物を登場させ、その人物を中心に新たな逸話
を展開していましたよね。全く同じ手法です。
デゥガーンという有り得ない音で呼ばれていましたので、日本語では、
ドウガン ・・・ だと思います。多分 ♥ ← 馬鹿やってないで買えっ!)

最終話での焔の台詞も、そのことを肯定するものでしょう。

「 俺は ・・・ 俺達は、あの 500年前のあの時から、お前達の
ことが羨ましかった。
いつか死ぬ自分のために、今を後悔しない様に生きる ・・・ 俺は
下界に降りてから、そうやって生きていられたような気がする。」

( 最終話 Alone ~西へ~ )

羨ましいから襲うとか、自身の死に場所を得るのに利用すると言われ
ても、納得は出来かねますが、取敢えず、それで物語としては繋がって
来ますし、三蔵たち4人の出会いの説明にもなっていると思います。

そういう意味では、細切れに利用されていることで、些か軽んじられた
気がして、不満の残った外伝部分ですが、「 何度でも生まれ変わっては、
出会い、関わってゆく魂たち 」 を説明する上で、上手に取り入れられて
いた、と言うべきだったのかも知れませんね。

少なくとも、初期に三仏神が言っていた、
「 皮肉なものだ。 各々の過去の傷跡が、そなたらを繋ぐ蜘蛛の
糸になろうとは。」
( 第1話 Go to the West ~はるかなる西へ~ )
・・・ などという薄暗い説明よりは、わたしには好ましく思えました。
( 普通、そんな痛々しい絆は要らないでしょうに!)

ま、何にしろ、作者の奨励通りに、外伝そのものをじっくり読むのは、
それはそれでまた、楽しいものでしょう。
無理矢理に繋いだためか、視聴者に分かりやすく示そうとしたためか、
TVアニメでは、本来必要無いはずの赤毛にされていた、捲簾の髪が
黒髪で見られるのも、嬉しい気がします。

で、最遊記外伝の原作コミックスを読んだことがなく、TVアニメでしか
知らないという方に特別サービス、というか、ネタバラシです。
実は ・・・。


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天界軍では一応全員に軍服が支給されるようですねっ♥


’なの、バラスまでもなく当たり前だって! (ノ_-;)ハア…

なんか、その描かれ方の所為で、現在放映中の 「 のだめカンタービレ 」
を見ていると、千秋真一の幾つかの動作に、つい、捲簾大将を連想して
しまうんですよね~~。
流石に、若い女性である のだめちゃんを見ていて、天蓬元帥を連想する
ということは、余り無いですが。
・・・ その場合は、高橋紀之からの方が連想しやすいか! ・・・ って、
一体何の話をしてるのだか! (x_x) ☆\( ̄ ̄*)バシッ
 
 
 
 
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実はわたしが初めて読んだ最遊記は、英語版 SAIYUKI だったので、
まさか、原文では全体が連用形で書かれているとは想像も付きません
でした。

このカットは悟能が逃走中の深刻な場面 ( TVアニメの15話と16話の
間に当たる位置 ) に出て来る為、絵柄は元気一杯の悟空ですが、
内容的には八戒に宛てた悟浄の心情かな、などと思っていたんです。

だって、最後なんか、「 JUST LIVE, LIVE, LIVE. 」 なんですよ?
「 いいから、生きろ、生きろ、生きろ 」 だと、思うじゃないですか?
深く思い詰め過ぎて自虐的になり易い八戒に対し悟浄が、もっと自分を
甘やかしても良いから、ただ生きておれ、と望んでいるということだろうか
などと想像して読んでしまいました。

後に、それらの言葉が全て連用形で書かれ、最後も 「 生きて、生きて、
生きて 」 であったのを知って唖然としたものです。

まぁそれでも、最初に感じた印象というものは強いもので、未だにその
部分を見掛けると、英語版の方が頭に浮かんで来て、

「 もう食えないってところまで食え。
  飽きるまで遊べ。
  一日中でも寝てろ。
  笑っても、叫んでも、泣いても構わん。
  ただ、生きろ、生きろ、生きろ!」


と感じてしまいます。

ついでに言うなら、英語訳の作成者自身も、前後の物語の暗い雰囲気に
合わせた結果、あのように訳したのではないでしょうか?
5フレーズ目と6フレーズ目にわざわざ原文に無い 「 IT'S OKAY TO ・・・」
「 JUST 」 を補ってある点からみても、わたしが上で英語からの逆起しを
して書いた、あの日本語のような意味合いで書かれている気がしてなり
ません。


何はともあれこのフレーズ、勘違いしていた間も、そして原作を知った後
でさえも、なお、結構お気に入りのフレーズであり続けたものでした。
 
 
 
 
最遊記には、魅力的な女性のキャラクタが殆ど登場しませんが、そんな
女っ気の無い物語の中にあって、既に故人でありながら、かなり頻繁に
登場するのがこの人。( 画像左側 )
毎度お馴染みの花喃さんです。( やはり、猪花喃なのでしょうか?)


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家庭のお茶の間に入り込むTVアニメでは、八戒の同棲中の恋人という
設定になっていますが、原作では実の姉だとされており、更に小説では
それが双子の姉であると明かされていました。
3歳の時に両親の離婚と共に、八戒が母親、花喃が父親に引き取られる
という形で引き離され、その後5歳で二人とも親に置き去りを食って別々の
孤児院に収容され、共に才能を買われて15歳にして大学入学を果たし、
その大学で再会し付き合い始めた、という経緯であったようです。

双子であったという打ち明け話を聞かされた悟浄は、最初、引き離されて
いた姉弟であったという話から、たまたまそうなった相手だろうと推測し、
別に異常なことではないと庇おうとしますが、八戒はそのように正当化
されることを望まず、そもそも花喃が双子の姉であって、もう一人の自分
とも呼べる存在であったからこそ好きになったと付け加えてしまいました。

結構ナルシシストだったというか、彼についての心理描写を信じるなら、
不幸せな生立ちから人間不信に陥っていた八戒が、誰かに愛されたいと
いう願望をもう一人の自分を以って、やっと果たせたということになります。

そういう根強い執着のため、花喃を失った八戒のダメージは計り知れぬ
程の大きさであったようで、原作では、花喃を生贄同然に妖怪に差出し、
「 孤児だから良いのだ 」 と開き直った村人を虐殺し、その時点で 「人間
であること 」 を捨てたとされています。
( 確かに力において人間に大きく勝る妖怪千人を殺めるには、最初から
当人が妖怪であるしかないでしょう。
これを受けてか、小説版でも 「 妖怪千人を殺して返り血を浴びると妖怪
になる 」 云々の説は三蔵によって否定されています。
なお、悟浄は当初、八戒が元人間であったとは信じていませんでした。)

結局のところ、こういった理由で八戒がもう一度女性を愛するようになる
には、相当に困難な障害があるようです。
それでかどうか、以降の艶っぽい話となると、どうしても相手が 「 花喃に
似た人 」 にならざるを得ないようで ・・・ 。
おそらくは作者としても、八戒が花喃以外の女性に恋心を抱くことには、
裏切り行為だとする気持ちが強いのではないでしょうか?
八戒との絡みで登場する女性の殆どが 「 花喃に似た人 」 なのです。

花喃にそっくりの容姿と、村を救うためだとして 「 生贄 」 にされ掛かって
いたという状況の両方で花喃を連想させたのが、萌花 (画像右側)。
生贄と聞いて激昂した八戒は、村人に食って掛かり、村長に詰め寄り、
「 生きるため 」 と弁解する彼女の許婚者に、「 本当に生きているつもり
なんですか!」 とまで罵った挙句、自分で救出に向かってしまいました。


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さらに、「 幻想魔伝 」 中にもう一人、自殺を計ろうとした際の仕草が花喃
に似ていたという理由で、八戒が拘った女性がいました。
( リロードでは、料理が下手という共通点で、八戒にお節介を焼かれた
女性もいましたよね。^^ )
紅孩児の部下で薬師の八百鼡です。
この人の場合、一応描かれている部分では自刃しようとした短刀の構え方
などが八戒に花喃の記憶を呼び起こさせたことになっているのですが、
見ていると、それ以外の理由というものも有りそうに思えてきます。

それは、八戒と八百鼡の間に数多く存在する共通点。
お互いにヒーリング担当であることや、柔らかい物腰で丁寧に喋る口調、
おっとりした性格、少々間の抜けたことを平気で言う癖などが似ており、
その所為か、それぞれのパーティでのポジションが同じです。

また、それだけでなく、この二人は容姿までもが似通っています。
アニメでは前髪を下ろしていることくらいしか分かりませんが、原作では
八百鼡は黒髪で、後ろに伸ばした髪を切って、モノクルを着ければ八戒に
変わりそうな容姿に描かれています。
小さく描かれて簡略化された際の横顔などは、八戒のそれとほぼ同じと
いう位に似た姿です。

つまり、必ず二卵生双生児である性別違いの双子よりは、余程八戒自身
に近い外見を持つということでしょう。
う~ん!八戒さん、それでは余りにも徹底し過ぎなのではないでしょうか?
・・・ などとついつい、要らぬ詮索をしてしまいそうです。

ところで、護り切れなかったたった一つの愛に捉われ続ける八戒と、身分
の違いから紅孩児とのゴールインは叶うまいと思われている八百鼡とが
結ばれれば、お互いに幸せになれるのでは?として、2人をお似合いの
ペアと見做す感想が海外のサイトには数多く見られます。
BLものが流行っている訳でも何でもない海外のファンには、八戒と三蔵
とを ( そのように描かれていなくもない悟浄とならともかく ) 無理矢理に
結び付けることは余りしないようですね。
八百鼡とやり直して欲しいと願う方が、より自然だと考えているようです。


注 :
わたし自身は原作のコミックから、花喃と八戒が姉弟であること、小説版
から、それが双子の姉弟である、というところまでしか知りません。
両親の離婚、大学での再会などは、英語版 Wikipedia、Cho Hakkai
( Saiyuki ) 項目の trivia section から引用したものです。
確認は、http://en.wikipedia.org/wiki/Cho_Hakkai_%28Saiyuki%29
まで。
 
 
 
 
Jeep

ジープ (Jeep®) は、ダイムラー・クライスラーの四輪駆動車のブランドで
ある。ジープは単なる商標に留まらず、その優れた設計から民生のクロス
カントリーカーや小型軍用車両の代名詞となっており、ライセンス生産、
コピーを問わず、世界中に亜流が存在する。

・・・ なぁんてことが言いたい訳でないのは勿論のことです。

ここでは、最遊記の話をしている訳ですから、ジープとは当然に八戒の
肩に止まり、必要に応じて車に変身する白い小竜のことですよね。
ただ、原作でジープであった彼の名前は、TVアニメになった際、ジープが
上述の如く、商標登録された固有名詞であったことから、白竜と変えられ
てしまいました。

後付けの理由と思われますが、小説版最遊記 「 鏡花水月 」 の最後に
改名の理由が出てきます。
「 白竜では余りに見たままなので 」 という八戒の思い付きのようですが、
ジープだって結局変身しているもう一つの姿であって、見たままです。
しかしまぁ取敢えず、これで、「 白竜 」 が、彼の元々の名前であったと
いうことにはなるので、それで良いのでしょう。

ジープは物語開始時 ( 旅の始まりの時点 ) から、既に八戒のペットと
して、また一行の足として、登場していますので、原作でもアニメでも
殊更に出合いのシーンが描かれることは無かったのですが、後に小説版
のこの同じ巻で、最初の出合いが紹介されることとなりました。
( ここには、それまで余り描かれて来なかった八戒と悟浄の同居時代の
エピソードが描かれ、八戒と花喃の正確な関係も出てきます。)

ただし、ここでも、出合いそのものの詳しい記述はありません。
雨に弱い八戒が、独り不安に落ち込んだ挙句、折角心配して戻って来た
悟浄とすれ違うようにして、雨の中を彷徨い出してしまった先の森の中で、
出合いを果たしたことになっていますが、羽音を聞くシーンで一旦話が
途切れ、次には、ジープが八戒と暮らすようになって以来、日課となって
しまった悟浄の叩き起こしの場面となって再登場します。

八戒はこの日課を 「 不規則な生活が身体に悪いから、悟浄を気遣って
起こしている、愛情表現 」 だと主張しますが、悟浄は 「 八戒の食事の
仕度 ( 家事 ) を軽減するためにやっている 」 と推測していました。
この小竜は、前世で天蓬に一目を置き、策士として気にもいっていた
西海竜王 敖潤 ( 捲簾・天蓬の上官 ) の生まれ変わりと言われる事が
多いようですが、作者がそれを公式に認めたことはありません。
しかし、悟浄の起こし方以外にも徹底して八戒にだけ味方する癖があり、
八戒にも、ジープの言葉を聞き取っていると思しき節があって、繋がりは
強いようです。
ですから、悟浄の推測は多分当たっているのでしょう。

その後、三仏神から三蔵に新たに、百眼魔王の城から持ち出された2つ
の宝物を探し出し、破壊または封印をせよという命令が下ります。
一つは八戒の悪夢を再現する 「 悪趣味な 」 鏡でしたが、残る一つが、
禁断の汚呪とされる 「 化学と妖術の合成 」 によって作り出されたジープ
の存在でした。
そして、「 害は無さそうだ 」 という理由に加え、「 帰りの足が無くなる 」
という三蔵らしい言い草と共に、赦され見逃されたジープは、三蔵一行の
一員というか、その時点では八戒のペットとなります。

因みに運転者が八戒である理由は、彼が飼い主だからではなく、当時
( or その後ずっと?) 「 隣で運転するのを見たことがある 」 という八戒が
4人のうちで、一番運転技術が高かった(?)ためです。

・・・ このような経緯で、八戒に懐き、三蔵達の旅にも同行することになった
ジープの正体は、つまりは、元百眼魔王の所有していた宝具ということに
なるのですが、わたしには、もう一つより具体的な存在理由が有る様な
気がしてなりません。

羽のある動物が、安全と信じる場所に止まったときには、普通羽をたたみ
ますよね?
しかし、ジープはお気に入りの八戒の肩に止まる際、大抵は羽を左右に
張り出して止まります。
一方、自身の顔 ・・・ というか、首は下に曲げていることが多く、あまり
目立たせるのが好きではない様子です。


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そのため、左右に大きく広げた純白の翼は、八戒自身のそれに見える
ことも多く、八戒が、背を反らすようにして立っている様は、さながら、
八戒自身が翼を背負って、そこに佇んでいるように感じてしまいます。
コヤツ、本当の存在理由は、武器を持たない八戒のアクセサリーでは
なかろうかと睨んでいるのですが ・・・ ?
 
 
 
 
新着情報
( このブログ以外の場所に置いており、下欄の 「 最新記事 」 に載らない内容です )

「生存者」 ~ 蛙灰皿秘話 ~
 2008/11/11

「憐情」
 2008/10/16

「行くな!」君去りし後裏返し編
 2008/09/21

「風車」
 2008/09/04

「贈物」
 2008/08/27


 ご訪問ありがとうございます。


 ここには、最遊記についての

 エッセイ、その他の雑文を

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