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王の男 コレクターズ・エディション (初回限定生産)
王の男
コレクターズ・エディション



王の男 ■ (2006)
THE KING AND THE CLOWN ← え?道化?

メディア   映画
上映時間  122分
製作国   韓国
公開情報  劇場公開 (角川ヘラルド映画=CJ Entertainment)
初公開年月 2006/12/09
ジャンル   ドラマ/歴史劇/サスペンス

【クレジット】

監督:      イ・ジュンイク
製作総指揮: キム・インス
原作:      キム・テウン (演劇『爾』)
脚本:      チェ・ソクファン
撮影:      チ・ギルン
衣装:      シム・ヒョンソップ
音楽:      イ・ビョンウ
アートディレクター: カン・スンヨン

出演: カム・ウソン チャンセン
     イ・ジュンギ コンギル
     チョン・ジニョン ヨンサングン(燕山君)
     カン・ソンヨン ノクス
     チャン・ハンソン チョソン
     ユ・ヘジン ユッカプ
     チョン・ソギョン チルトゥク
     イ・スンフン パルボク

一応此処は最遊記について書いているブログですので、付け足しを ・・・。
日本語吹き替は、チャンセンが焔、コンギルが八戒、ヨンサングンが雀呂
という取り合わせでした♪ ( ← どういう説明だよ、それ? )


■■□―――――――――――――――――――□■■


この作品も先日書いた、アマゾンからのメールや買い物時の画面に出る
お勧め品の一つであったものです。
PCがキーワードを使って抽出しているだけなんだろう、と分かってはいる
のですが、「 サウンドシアター あらしのよるに 」 で、、その推薦のソフトが
割りに好みに合うのが分かって、また買ってしまいました。

実は人生でほぼ最初 ( 子供時代に知らぬうちに見ていなければ ) に見た、
韓国映画です。
これまで意識的に避けていたんですけどねぇ ・・・。
ま、その理由が男性が日本人と同じように恐ろし気だから、というもので
あったのですが、この作品に関しては、言葉で説明する代わりに卓袱台を
ひっくり返したり、蹴飛ばして躾だと嘯く男性は出て来ませんでした。
( ほっ!)


( この先、ネタバレし捲くっています。御注意を!)


「 王の男 」 という訳が分からんような、分かり過ぎてちょっと怖いような、
タイトルなんですが、意外にも中身は痛いくらいの純愛でした。
( つか、文字通り痛そうでした ・・・。(x_x) )

この映画、本当は、朝鮮王朝史上最悪の暴君といわれる王・燕山君 ( ヨン
サングン ) の幾つかの良く知られたエピソードと最後のクーデターの部分
を、王が重用した大道芸人の目を通して描いている ・・・ といった意味合い
らしいのですが、朝鮮の歴史など殆ど知らないわたしには、そこのところ
を汲み取れる訳がありません。( 同じ狂王でも、まだ、カリギュラだったら
多少は馴染みがあるんですが ・・・。)
そこで、歴史的背景抜きに、この作品から得られる情報だけを以って、解釈
することになってしまったのですが、それはそれで人間ドラマとしては楽し
めたと思います。
趣旨を外して、宮廷の話でも歴史の一幕でもなくなり、大道芸人の心情を
描いたドラマとして眺めていただけだと思うのですが、それもアリですよね?


さて、映画の内容ですが、何処かで 「 覇王別姫 」 に似た話だと書かれて
いたので、そうなのかなと思って観てみると、やはり、全然別物という印象
でした。
「 覇王別姫 」 に登場するのは、仮にも京劇役者という世間にも認められた
職業を持つ人物ですが、「 王の男 」 の方は、クァンデと呼ばれる、芸を
見せては小銭を恵んで貰う、賤民の大道芸人の男性二人が主人公。
「 覇王別姫 」 と違って、相思相愛 ( 但し、精神的に!) で絆の強い二人
ですが、その強味があってもなお、身分の低さ故に彼らを取り巻く状況は
過酷です。京劇役者と違って、端から人権もクソも持ってはいません。

貴族の前でも披露できる綱渡り等の芸も持つが、専ら大衆を相手に下卑た
出し物を見せて流れ歩くといった生活振り。
ヒロイン(?)のコンギルは、実力を持った芸人であり、曲芸から下ネタ中心
の仮面劇までを堂々とやってのけ、ただ綺麗なばかりのお人形さんという
訳ではありません。
それでも、旅芸人という立場であれば、本人に申し込みすら無いまま、親方
に話を通しただけで、売春を強要されるのが当たり前という時代背景で
あったようで、コンギルも男娼として望まれることを耐え忍びながら暮らし
ています。

奉公時代、芸人時代とずっと寄り添うようにして生きて来た相棒のチャンセン
は、そんなコンギルをずっと見守っているのですが、ある日遂に、コンギル
を連れて親方の元から逃げ出してしまいました。

二人は漢陽 ( 当時の朝鮮の都、現在のソウル ) の街で暴君・燕山君を
風刺し、処刑されそうになるのですが、チャンセンが王を笑わせられたら
罪を免ぜられるべきであると言い立てたことで、逆にチャンスを掴みます。

追い詰められると肝の据わるコンギルの好演のお陰で、ついに王を笑わせ
ることに成功した二人は、王宮付きの芸人として召し抱えられることとなり
ました。
しかしそこでまたしても、コンギルが王に気に入られてしまい、毎夜お呼び
が掛かるようになって、チャンセンは、苛立ちながらコンギルの帰りを待つ
羽目に ・・・。
しかも今回に限っては、幼年期にトラウマを持つ燕山君が、コンギルに心
の安らぎを求めただけ ・・・ といった内容であったらしく、生来気の優しい
コンギルは、王に涙まで見せられて同情を寄せてしまい、以前のように
チャンセンに従って逃げようとしません。
( もうそれ、優しいというより、お目出度いって水準でしょう?じれったい!)

そうこうするうちに、二人は次第に宮廷の陰謀に巻き込まれてゆき、やがて
悲劇の結末が忍び寄って来る ・・・。

・・・ と、こんな映画です。


中々面白いんですよ?
京劇とか歌舞伎のようにお化粧したら女性 ・・・ というのでなく、普通にし
ていても充分に美女として暮らしているコンギルですが、この人、性格に
幾つかの大きなギャップを持っています。
普段、じれったいほど大人しくて、アニメ版 Night Head で、お兄ちゃんに
隠れるようにして行動する、泣き虫弟みたいな感じ ( また、そういう喩えを
するっ!) なんですが、芸をさせれば途端に活き活きして、人が変わった
ように大胆になり、難易度の高い曲芸も見事にこなしてしまいます。
そうでない時の、普段の大人しい方のコンギルにも、その中にまた二面性
が存在し、譲れないところには非常に頑固。
この人の場合、その頑固の部分が、少しも自己防衛に対して働かず、常に
優しさを押し通そうとすることに働いてしまうところが悲劇を招き易くて、困り
ものなんですが。

一方、コンギルに比べてちょっとむさ苦しいチャンセンですが、これがまた
良い男なんです。
全員にと言う訳にはゆきませんが、コンギルにはとことん優しい人で、どん
なに怒っていようと徹底して非暴力主義みたいです。
コンギルが動かなくなると、隣に座って 「 一緒に死ぬ 」 と言うだけ。
剣を振り上げられて襲われても、手で刀身を握って止めるだけ。
もう愛想を尽かして、独りで不貞腐れていても、コンギルが危ないと知ると、
全速力で駆け付けて来て助けてくれる ・・・。

そして最後の方に、コンギルの懺悔のようなシーンがあるのですが、この
チャンセンの優しさって、コンギルが正しいことをしている時だけのものでは
なかったことが、視聴者に知らされます。
子供時代らしいのですが、コンギルに悪事を働いた経験があるんです。
その時にも、チャンセンがコンギルを庇っていたことが明かされます。
要するに、チャンセンという人は、良かろうと悪かろうとコンギルが好きで
堪らない人だったのでしょう。

何と無く、このエピソードが出てきた途端に、チャンセンが一層良い男に
見えてしまいました。
何故だかは分かりませんが、綺麗綺麗だけじゃない話の方が魅力的だと
感じるのでしょうか。


ただ ・・・。
この物語、一見、何時もチャンセンがコンギルを庇っているように見えるの
ですが、よくよく考えてみると、そんな危険な立場に陥る切っ掛けを作るの
は常にチャンセンの方なんですよね?
やばそうな芝居を思い付いたのも、王を徹底的に怒らせたのも、更に挑発
して、取り返しの付かない事態にまで持ち込んだのもチャンセンなんです。
だから、コンギルは険しい状況の中でずっとチャンセンに庇われているよう
でいて、実はこの人が居なければ、幾らでも楽に生きられたのも確かです。
ま、人の言いなりになって、身体を売って ・・・ ではあったでしょうが。

それを、遠慮無く危険に晒しているのも、またチャンセンだと言えます。
そう言えば、曲芸の相手をさせる時にも、チャンセンはコンギルを相棒と
呼び、決して危険から遠ざけようとはしていませんでした。

男女の恋愛と違って、心の何処かに男同士として、危険は共に好んでいる
筈だとか、芸人としての意地はコイツも見せたいに違いないと信じている
とか、そういう信頼感を抱いているのかも知れませんね。

物語は悲劇に終わりますが、チャンセンは最後まで、そういう信頼感を持ち
続けていたようで、どう考えても良いことが起きる筈の無い綱の上にコンギル
を誘います。( その場で呼び寄せたという意味でなく、結果としてそうなる
ことを仕出かした挙句、上ってくるコンギルをも拒まなかった ・・・ の意。)
それでも、コンギルが仕合せに感じられる筈だ、という点に確信を持って
いたということなのでしょう。

分かり難い言い回しをしていますが、通常、例えば男性が女性を庇ってドア
を開けてやるという動作をする場合、その男性は同時に女性に対して、ドア
も開けられない動物と見做してもいる訳です。
コンギルとは男性同士であるチャンセンは、それとは全く逆に、そういう侮蔑
が無く、自らが持つ芸人としての自由闊達な心意気をコンギルも当然に
持ち合わせている筈だという信頼を寄せていたのでは?と思いました。
王もまた、遅れ馳せながらやっとコンギルがそういう男だと得心して、放して
やったということかも知れません。

結末が分かり辛いと言われているようですが、わたしは一応、そういうこと
だと解釈して観てしまいました。

そうは間違っていない、と思いませんか?



( ↓  ↓  ↓  ちょっと悪いことをしています。御内聞に ・・・! )


クリックして下さい。少し大きくなります♪

漢陽に上京した頃の二人。
結局、この物語の中で一番幸せなひと時だった。


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燕山君のお相手をするコンギル。
夜伽ならぬ、夜に御伽噺を語ってたりして ・・・。( ← マジです!)
 
 
 
 
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前回 「 サウンドシアター あらしのよるに 」 を紹介しましたので、紹介の
しついでに、もう一丁!
今までは感想など書かずに、ただ黙って読んだり聴いたりしていたのに、
急に書き出すのも、変なんですけれどね。
まぁ、「 サウンドシアター あらしのよるに 」 が余りにも良かったので、書い
てみて、それで、書き癖がついちゃったみたいです^^


ただ、「 人間交差点 あの日川を渡って 」 は、そこまで面白いと評価出来
るドラマではありませんでした。
わたしの主観では、「 サウンドシアター あらしのよるに 」 の10分の1位
の値打ちってところかな。( 何を根拠に??? )
勿論、悪いっていう意味ではありません。あくまで 「 サウンドシアター
あらしのよるに 」 が良過ぎたってことですので、誤解無きように!

つまりね、良いお話は良いお話なんですよ。しかも綺麗に纏まっています。

声優陣も豪華版で、

キャスト : 石田 彰 ( 片田良夫 )、保志総一朗 ( 岡村和幸 )
       森川智之 ( 佐々木賢治 )、代永 翼 ( 山崎ひろし )
       檜山修之 ( ダフ屋 )、田中敦子 ( 片田きぬえ )
       甲斐田裕子 ( 鈴木幸子 )、他

ただし、森川さんと保志君の先輩後輩コンビが聴けるなぁ!と思ったの
ですが、この二人の会話は全く無くて、保志君はひたすら石田さんの良き
友人であり続けるような役でした。
そう言えば、檜山さんの台詞も滅茶苦茶少なくて、他の誰かが高さを変え
て兼任しても充分いけるって感じです。何か、えらく勿体無い!

手馴れた声優陣が手掛けている所為か、全体にとても上手に纏まって
います。ほのぼのした良いお話でもあります。
そして、そこまで ・・・ なんです。

良いんだけれど、それ以上じゃない。
良いお話ですね、と拝聴して、それでお終い ・・・ と言うか。
残酷なシーンも、どきどきするスリルも有りません。
ちょっと可哀想な部分も出てはきますが、悲劇ではないんです。
誰もがしょっちゅう巻き込まれるような良くある出来事が、お話の母子には
経済的な余裕が無かったばかりに、普通よりも大きく響いたという、その
程度です。
描かれている母子にしても、それを必要以上の悲劇にして世を恨むってタ
イプでも無く、後味は悪かったでしょうが、ちゃんと生活は続いてゆきます。
精々、息子の職業選びの切っ掛けになったというだけで、それを振り返っ
ているというお話です。

だから、悪くは無いんですが、感動するって程でも無い。
本当は辛いお話かも知れないのに、その後の世の中の変遷を考えると
「 今の時代じゃなくて良かったね!」 と言わざるを得ません。
持てた感想が、このくらいのことが 「 悲劇 」 として残る、昭和のその時期
って、穏やかで、良い時代だったんだねえ? ・・・ なんです。

一番ドキッとして聞いたのは、フリートークで石田さんが、台本が全部
「 良夫 」 だったので ( 安倍晴明 青年 ・・・ とかじゃないってことか?)、
8歳の分も全部自分で演ると思って心積もりをして出て来てしまった、と
話していたことでしょうか?
その方が、本編の内容よりもびっくりでした。
8歳の分って! ・・・ いや、この人の場合、演らせれば本当に演りそうな
ところが、何か凄いというか、怖いと言おうか ・・・^^

・・・ って、そんなことに感心してるってのも、ちょっとねえ。
ま、来月の 「 宮沢賢治名作選集 」 に期待です。

いや、それのストーリーはもう決り切ってるし、あの定価の付け替え振りを
見ているだけでも、碌なモンじゃなさそうって気も ・・・。( 溜息!)


 サウンドシアター「あらしのよるに」

人間交差点 あの日川を渡って サウンドシアター「あらしのよるに」
 
 
 
 
アマゾンに何か注文する度に、送られてくる確認メールに載せてある推薦
作品に、何時も決まって挙げられているのが、「 羊でおやすみシリーズ
『 僕らの声で … 』 」 と、「 サウンドシアター あらしのよるに 」 であることが、
わたしには不思議で仕方ありませんでした。
だって、CDで、「 あらしのよるに 」 と言ったら、当然に劇場公開されたアニメ
のサウンドトラックのことだと思っていたんです。

つまり、

ガブ  : 中村獅童
メイ  : 成宮寛貴
ギロ  : 竹内 力
バリー : 山寺宏一
タプ  : 林家正蔵

だと思っていました。
話題性が欲しいのか、やたら有名俳優を起用する最近のアニメ公開の仕方
にも疑問を持っていましたし、このアニメについても、アニメのキャラクタに
は表情筋が有る訳じゃないんだから、もっと抑揚を付けて欲しいなぁ~!
といった感想を持った程度で、余り好きにはなれなかったのです。

別に要らないやと思って買わないものですから、毎回広告が付いてきます。
その熱意に絆されて(?)、クリックしてみたこともあったのですが、アニメ
専門店ではないアマゾンでは、配役の表示も無く、勘違いしたままでした。
先週の金曜日にやっと、読者レヴューを読んでみる気になり、内容が分か
って、遅れ馳せながら、今頃になって購入してみました。
↓ こういう内容だったんですね♪

「 サウンドシアター あらしのよるに 」

メイ  : 石田 彰
ガブ  : 平田広明
タプ  : 山口勝平
ギロ  : 小杉十郎太
バリー : 中井和哉
ナレーション : 宗矢樹頼

成る程、最初から、「 サウンドシアター 」 ってタイトルでしたっけ。
全く気付きませんでした。だから、しょっちゅう広告がくっ付いていたのか!
偶蹄目が好きだ、と思われていたってことではなかったんですね^^

配役は勿論これで大満足です。
小杉さんが居るからでしょうか、何故かフリートークに、恒例の平田さんの
暴走も無く、何時も感じる 「 平田が怖い!」 を感じずに聞けました。
台詞は江戸時代の職人さん風って言うか、かなりガラガラしているのです
が、ガラッパチ言葉なりの丁寧語であると知れ、ここでの平田さんは何時
もより優しげで、これなら大丈夫みたいです。( ← 普段、怖がり!)

最後の方はアニメ版とはだいぶ違っていました。
種族、所属社会、本能、( もしかしたら性別も?) を超えた二人の友情と
いうか、愛情の行方ですが、
「 多分、何処かに二人で仕合せに暮らせる場所を見付けたのだろう。」
と、結論をオーディエンスに任せた形のアニメ版とは違って、CD版では、
逃避行後の二人の結末までしっかり描かれていました。

でも、この部分が実は非常に良かったんです。
子供にはそうでもないのかも知れませんが、大人になって読んでいるわたし
には、所詮、食う者と食われる者の歪 (いびつ) な愛情ですから ・・・。
何時の日か裏切り合うかも知れない結末より、この関係の二人にしては
選択し得る最高に仕合せな最期であったろうと思えます。

描き方も綺麗でした。
有名作品だし、ネタバレは気にせず紹介してしまうと、こんな感じです。
( 未だ知らない人がいらしたら、ここで引き返して下さい。)

   ↓    ↓    ↓


厳しい雪山の逃避行に身体を弱らせ、続行に限界を感じたメイは 「 自分を
食べろ 」 とガブに薦める。
ガブは困惑したが、その時、既にオオカミの群の追跡は間近に迫っていた。
ガブは自らを囮にしてメイを助けようとし、その際起きた雪崩に群れ諸共
巻き込まれていった。

春が来る。
独りで無事に緑の森に辿り着いたメイは、そのことへの後悔とガブを失った
哀しみから、豊かな土地に暮らしていながら食事も取れずに、身体を弱らせ
ていたが、ある日、長い放浪の所為でやはり飢え死に寸前の状態に陥って
いるガブを発見して大喜びした。
だが、雪崩のショックで記憶を失っていたガブは、今やメイをただのエサと
してしか認識出来なくなっている。
残酷な再会にメイは、「 いっそあのあらしのよるに出会わなければ 」 と嘆く
が、幸いにもその時の 「 器用貧乏 」 「 あらしのよる 」 という言葉が引き金
となって、ガブに記憶が戻り、二人は友情を取り戻して今度こそ本当の意味
での再会を果たした。

しかし、メイはガブを失って弱りきっており、ガブも長い放浪の果てにやっと
手に入れた食物 ( メイ ) を諦めたことで、この時点でどちらもが、生き残れ
る道を失っていた。

それでも再会出来た喜びに、二人は全てを忘れて、一緒に月見を楽しむ。
「 おいら、最高の夜でやんすよ 」
「 ガブ、もう私たちずっと一緒に居られるんですねぇ ・・・ 」
満ち足りて寄り添い、月を眺める二人。

やがて、途中からメイの返事が無くなり、メイが眠ったと思ったガブが始め
た詩の朗読も次第に途切れてゆく ・・・。

  静かな光が優しく包むよ、満月の夜
  草も木もキラキラ輝かせるよ、満月の夜
  世界中が眠りに着いた静けさの中で
  心密かに誰かを想う
  このひと時 ・・・

んで、「 月明かりは寄り添う二つの亡骸に静かに降り注いだ。」 となります。
この二人は 「 僕らは月が恐かった 」 って訳では無さそうですね^^

多分もう、「 何処かに見付かるかも知れない仕合せ 」 など、信じられなく
なっているからでしょうか?、わたしにはこの結末の方が落ち着きます。

ストーリーも気に入り、やっぱり本職の声優さんは良いなぁ!とも感じて
大変気に入ったのですが、しかしこの取り合わせでは、要らぬ想像力をも
掻き立てられるようで ・・・。
危機が迫ってくると、メイ!耳の妖力制御装置を外してっ!・・・ とかね。
ついつい、阿呆みたいなことを ・・・。( ̄_ ̄|||) どよ~ん


サウンドシアター「あらしのよるに」     羊でおやすみシリーズ「僕らの声で…」
サウンドシアター「あらしのよるに」 羊でおやすみシリーズ
                       「僕らの声で…」

 
 
 
 
劇場版幻想魔伝最遊記 キャラクターソング four songs
劇場版幻想魔伝最遊記
キャラクターソング four songs



patapata-jeepCrimson

作詞:橋本寛/作曲:草野芳裕/編曲:佐々木章/
歌:悟浄(平田広明)

愛を求めるほど 堕ちてもないし
昔の話しを語る 気もないさ

肌を合わせて眠りゃ
夜はしのげるけど
生き長らえるよりも
くたばりたいぜ

大切なものなど ありゃしないし
願い事なんてとっくに捨てちまった

過去を涙で飾りゃ
甘い嘘に変わる
そんな生き方よりも
くたばりたいぜ

あがいた指先に 残る痛み
それを真実と 呼んでもいいけれど

愛を求めるほど 堕ちてもないし
昔の話しを語る 気もないさ

肌を合わせて眠りゃ
夜はしのげるけど
生き長らえるよりも
くたばりたいぜ

過去を涙で飾りゃ
甘い嘘に変わる
そんな生き方よりも
くたばりたいぜ
くたばりたいぜ
くたばりたいぜ
くたばりたいぜ



patapata-jeep生命線…Something in my mind

作詞:橋本寛/作曲:大坪正/編曲:大坪正、スティクス/
歌?:八戒(石田彰)

旅の理由を言葉にすることに、どれほどの意味があるんでしょうか
それは、愛した理由や人生の存在意義を言葉にするときの無力感に
どこか似ていて、僕の口をつぐませるんです
・・・しかし僕はあの日、あの街を出ることを選びました
それほど昔のことではない筈なんですけど
もうずいぶんと時が経った気がするのは、
歩んできた距離や時間のせいだけではないのでしょうね

憎しみばかりを胸に抱いて生きていた頃は
偽善ばかりが視界を覆っていて
・・・ましてや愛など到底見えるはずもなく
自分自身に辟易しながら
止まない雨の夜を抜け出せずにいました
時折この道を、あの日々を振り返る
砂挨の向こうに見えた・・・あの人は誰なんでしょう
僕によく似た眼をしていたんですが・・・

長い間忘れていたようなぬくもりを
最近はちょっと自慢出来る程度に感じるんですよ?
‥‥‥ああ、今日もいい天気ですね
少し短かめな生命線を太陽にかざして
‥‥‥僕はまだ、旅を続けています

I have something in my mind
Something so sweet
I have something in my mind
Something so sweet


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patapata-jeepSolitude

作詞:橋本寛/作曲:草野芳裕/編曲:佐々木章/
歌:三蔵(関俊彦)

意味を求めて 傷口をまた開いた
答えなどない 分かっているのに

弾丸(ビュレット)のひとつでも
見つけたいオレは
何を見たい

罪を刻んで 罰を背負って 眠れば
偽りだけが かすんでゆくのさ

安らぎと微笑みに
引き金を引いた
あの日から

*Can't you see? It is my solitude
 痛みだけが 真実ならば
 Can't you see? It is my solitude
 孤独だけは 手放さないさ

罪を刻んで 罰を背負って 眠れば
偽りだけが かすんでゆく

安らぎと微笑みに
俺は引き金を引いた
あの日から

Can't you see? It is my solitude
痛みだけが 真実ならば
Can't you see? It is my solitude
孤独だけは 手放さないさ

救われない 魂なら
救われない

あの日から
*repeat(2 times)

救われない 魂なら
救われない そのままがいい
救われない 魂なら
救われない そのままがいい…



patapata-jeepProud of my loneliness

作詞:橋本寛/作曲:神津裕之/編曲:前野友常/
歌:悟空(保志総一朗)

出逢ったあの日から
懐かしさ感じてた
冷たい横顔を
もう一度 見つめた

ほどけない鎖に
心とらわれたまま
見つめていた空は
切ないくらい 眩しくて

哀しみを 忘れたフリした
遠い夕暮れに 帰る気はないけど

*Proud of my loneliness
 止まらない 胸の鼓動
 ただ信じてみる
 Proud of my loneliness
 もう一度
 過去も 夢も 全て抱きしめて
生きてゆこう

明日の地図なんて
誰にも持てないけど
あの空の向こうで
何かが 呼んでる気がした

望みさえ 霞んだ夜明けを
今も振り返る ことだってあるけど

**Proud of my loneliness
  途切れない 熱い想い
  消えはしないから
  Proud of my loneliness
  もう一度
  涙 笑顔 全て抱きしめて
  生きてゆこう

*repeat
**repeat
 
 
 
 
男女の双子と言うのは、何処か神秘の匂いを感ずる所があるのでしょう、
フィクションの中では人気が高くて、排卵誘発剤など無く、双子そのものが
今よりうんと少なかった時代から、度々登場したものです。
シェイクスピアを挙げるまでも無く、戯曲に特にその登場が多く見られたの
は、当時の舞台が女人禁制であったという、また別の事情に拠るものなの
ですが、( 女性役を若く未熟な少年に演じさせたため、その演技力の不足
を、役を 「 双子の兄に化けている女性 」 とすることで、女性を演じ切れて
いない状態を誤魔化そうとした。)、それでもやはり、シェイクスピアに描か
れた男女の双子にも、独特の雰囲気は有ったと思います。

ただ、日本人が双子の姉弟という言葉を口にするのはどうかなとは、思って
しまいますよね?
男尊女卑の日本では、男が必ず兄、女が必ず妹である筈です。
何と無く、有り得ない日本語を聞かされているような気になって、違和感が
払拭出来ません。
学校で学級委員長と副委員長を男女別に選出し、男性が必ず委員長に
なり、女性が副委員長になるのと同じで、順番など関係無いのではないで
しょうか?

だって、フィクション上最も有名な、双子の兄妹 ― ギリシア神話のアポロ
ンと、アルテミス ― にしてからが、兄と妹と翻訳されている位です。
なにしろ、この兄妹は、母レトがヘラの嫉妬に追われて放浪し、先ずオル
テュギアー島でアルテミスが生まれ、さらにデロス島でアポロンが生まれ
たとされ、このときアルテミスは生まれたばかりであるにも関わらず、母の
お産に立会い、助産婦の務めを果たしたという逸話を持っているのです。
そして、我らが日本人の翻訳者は、正にそのエピソードを紹介する際にも、
アルテミスを 「 妹 」 と書き続けるのですから、男尊女卑も此処まで徹底
出来れば、ある意味立派かも知れません。
妹が、母親が兄を出産するのに立会い、兄を取り上げました ・・・ なんて、
並みの神経では書けませんからね。


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まぁ、翻訳の不適切と、日本での兄妹という呼称はこの際無視することと
して、やはりこの兄妹にも、人々は独特の雰囲気を感じ取っていたようで、
互いの恋愛には、複雑な感情を見せるシーンが描かれます。
( 元のギリシア神話が、民間伝承なので、この言い方はおかしいのでしょ
うが、ホメーロスやヘーシオドス辺りの作品を紹介しているところを想像して
下さい。)

特に有名なのは、狩猟の神であるアルテミスとギリシア一の狩人である
オリオンが恋仲になったのを嫌ったアポロンが、海を渡るオリオンを妹(?)
に指し示して、あの丸太を射てみよと挑発したという事件です。
哀れにもアルテミスは兄の挑発に乗って、誘われるままに、自分の恋人を
射殺してしまい、ゼウスに泣き付いて、オリオンを星座として天空に上げて
貰いました。
( 自らが、狩猟の神であると共に月神でもあり、夜空を照らす月の小舟を
走らせる際に会えるのを楽しみに暮らしていることになっています。)

妹(?)自身の手で恋人を射殺させるお兄いちゃんとは、何とも恐ろしい話
なのですが、やはり、こういった太陽と月という美形兄妹には、古代の人々
も、各々が別の生活を持って離れて行ってしまうよりは、常に美しいペアで
居て欲しいと願ったのではないでしょうか?

さて、もう一組、有名な男女の双子と言うと、あの閻魔大王がそうです。
インド神話における太陽神の一人ヴィヴァスヴァットと、トヴァシュトリ神の
娘サラニユーの間に生まれたのが、ヤマとその妹ヤミーであり、サンスク
リットのヤマ ( यम, Yama ) の音訳が、我々の言うところの閻魔大王です。
『 リグ・ヴェーダ 』 では人間の祖ともされ、ヤマとその妹ヤミーとの間に
最初の人類が生まれたということになっています。

ヤマは人間で最初の死者となったが故に死者の国の王の任に就きました。
インドでは、古くは生前によい行いをした人は天界にあるヤマの国に行くと
されましたが、後にヤマは死者を裁いて地獄に落とす恐るべき神へと変化
してゆきます。
更に中国に伝わって、やがて晩唐に撰述された偽経である 『 閻羅王授記
四衆逆修生七往生浄土経 』 により十王信仰と結び付けられ、地獄の裁判
官の一人として 「 人が死ぬと裁く 」 という役割を担い、信仰の対象となった
とされます。
現在よく知られる、あの唐の官人風の衣を纏った姿はここで成立したようで
す。( この段落のみ、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

双子で、夫婦で、人類の祖 ・・・ ですか!
有り得るかどうか、と言うよりは、想像上調和が取れていて、これが理想的
だと、人々が勝手に想像したというところなのでしょうね。

調和の取れた美しいペア ・・・ という意味合いで取り上げられることが多い
所為か、男女の双子はそっくりの姿に描かれ、最初に述べたシェイクスピア
の戯曲のように入れ替わっての大活躍も多いようですが、男女の双子は
二卵性双生児であるため、通常の兄妹以上に似る理由は有りません。
そっくりな姿で入れ替わり、大活躍したり、喜劇を巻き起こしたりする双子
のお話は、一卵性・二卵性の区別の付かなかった時代に描かれたフィク
ションが、今も引き継がれてしまっているからでしょう。

八戒と花喃が似ていないのは、それで正しい訳ですね。
別に産院で花喃と八百鼡が取り違えられたということでは無さそうです^^


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 2008/09/21

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 2008/09/04

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 2008/08/27


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