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前回、仕事時間を気にして、えらく端折ってしまった、最遊記外伝 第三十話 ( WARD 2008年11月号 : 2008/09/16 発売分 ) の感想の書き直し編です。
単純にストーリーを説明すると言うより、自分で視点を決め、その前の捲簾の最期に絡めて、わたしなりにエッセイ風に書いてみましたが、当然にネタバレは有りますので、未だ読んでおられない方は御注意下さい。

この回までで、一応、天蓬元帥と捲簾大将とが、外伝の舞台から ( 想い出としては兎も角、物理的には ) 消えてしまったわけですが、それにしても 『 死ななければ、現世編に繋がらない 』 と得心して読んでいてさえ、共に何とも、無慈悲で悲惨な死に方であったという感想でした。
先ず何と言っても、仲が良さそうで、息が合っていた二人が、同じ場所で死ねなかったということ。
( 今、此処で、『 分かり合った二人だからこそ、各々の役割を果たしたのだ。 敢えて共に逝く必要は無く、二人ともそれを望む甘ったれでは無かった 』 ・・・ なぁんて、言わないで下さいよ?
以降もそうですが、一般的な認識に基づいているつもりですので!)
普通に考えて、縁の深かった二人ですから、一緒に逝くとか、せめてどちらかがどちらかを看取って欲しかったと思います。
ま、そうなると分かっていて、軽く離脱を許した天蓬、笑って残った捲簾共に、覚悟を決めてのことだったのでしょうから、結局は先に書いた括弧書きの通りだったのかも知れませんが、それにしても、それは二人が必要に迫られた挙句、取った行動であり、望んでしたことではなかったろうことを考えると、尚更に哀れな気がします。
理論的に、『 こちらが正しい 』 と気付いてさえおれば感情には流されない、意地っ張り同士の付き合いであったのでしょう。
外伝第三巻で、天蓬に反駁した元部下、円雷の台詞に、「 何のことはない 巫山戯(ふざけ)た者同士気が合ったという事か 」 というのがありましたが、いや、実は、片や天然ボケ、片やおちゃらけ ・・・ 普段他人に見せていた、こんな姿とは違う実態を持っていた者同士で気を合わせて、馴染んでいったのかも知れない。 わたしには、そんな風に思えたものです。
それで、出遭ってからそう日にちも経っていなかったにも関わらず、短い間に気の合った友人同士となり、捲簾が先に関わってしまったトラブルに、天蓬がいとも簡単に参加して命を懸けてしまった ・・・。
きっと、人に馴染み難いと言いながら周囲に笑顔を振り撒いてきた天蓬にしても、態度と言葉は乱暴ながら、人懐っこく冗談の多かった捲簾にしても、同じくらい、本性を見せて付き合える友人に飢えていたのでしょう。
二人が二人とも、軍隊などという集団生活で、人に囲まれるようにして生きて来ていながら、存外孤独な魂を癒せずにいた、似た者同士であったのではないか、と思いました。

更に、両者とも、世に言う 『 眠るように安らかに息を引き取って 』 とは、凡そほど遠い、凄惨な死を迎えています。
捲簾は巨大熊 ( 哪吁零号機?) に食われるという、即死にすらなれない状況。
天蓬も、体から零れ出た内臓を引き摺って歩くという始末。 それでもなお責任感から開放されず、手の指で床を引き寄せるように前に進もうとした ・・・ そんな、天蓬らしいといえばらしい、凄惨な死に方をしてしまいます。
世の中には、もうちょっと楽な死に方だって、沢山あるだろうに、何で子供相手にこんな死に方を見せる? ・・・ と、そう思わざるを得ませんでした。
ただ、わたしも望んだように、作者もまた、そこに幾つかの救済を書き込んだ様子だけは、見て取れました。
捲簾が、音と気配だけの情報とは言え、敖潤にその死に様を知って貰えたこと以外にも、
二人共が、精神的にはそれで充実していたらしい ・・・ つまり、客観的にでなく、主観的には安らかで穏やかな死であったと ( 強引に ) してしまって、逃げを打ったらしいのです。
捲簾は、自分が哪吁零号機の生存の糧になり得たと想像し、「 生きて生きて生きて生き抜いてやれ!!!」 の思いを天蓬たちに託し、その姿を想像しながら食われてしまいます。
その際、先へ逃がした三人を思い浮かべているのですが、一番親しかった筈の天蓬だけが、「 またな 」 という台詞はあるものの、足とか後姿だけなんです。
先まで読み進んで、直ぐに天蓬が後を追ったところから逆算すれば、まるで捲簾が、『 少なくともこいつとだけは、また直ぐに会える 』 と分かっていたかのようでした。
そして、ちゃんとした前からの姿さえ描かれなかった天蓬は、成る程、その後もまるで、捲簾とずっと行動を共にしているかのように振舞い続けます。
しかも、想像の中では、二人が常に、何も事の起きなかった日々の穏やかな日常に居るように感じているのです。
物語中にも登場した、出会って間もない頃の、
「 ――― あんたにとって 生きてるって感じんのはどんな時 」
「 煙草が美味しいと思う瞬間ですかね 」
「 …… ははッ 違いねぇや 」
って奴とか、その後の交流の中であったと思われる、
「 …… あれ どこやったかなヘアゴム
あ ――― そうだ 軍服のポケットかあ
… ポケットの中に物入れたまま クリーニングに出すと怒られるんですよねぇ 」
・・・ などという、ごくごく平凡な場面を天蓬は思い出し続けるのでした。
しかし、捲簾の熊に対して、自身を糧として云々という理屈と同様に、これらはあくまでも天蓬の主観であって、客観的には冷徹な表情を浮かべ、顔に刃物が当たろうと全く動じず、鬼神のような戦い振りを披露し続けています。
その中で、想像しているのもやはり、
「 ――― あ そうだ
買い置きの即席ラーメン 食べるの忘れてた 」
「 トイレの電球切れてたし 」
「 ――― あの本、どこまで読んだっけ?」
・・・ 卑近な、と評して良いほどの平々凡々たる日常生活。
「 ……… あーあ、眼鏡。」
「 だいぶ前にスペア買っておいた筈だけど そういや最近見かけなかったな 」
「 ――― まぁ そのうち出て来るか 」
「 いつものようにあの人が、僕の部屋を 掃除してくれた時にでも 」
ここで読者に、二巻で出て来た捲簾の世話女房のような生活が、幕間にも続いていたことが知らされるのですが、またしても、それは凡庸な日常のひとコマです。
更に、力尽き、倒れて後の死の間際に、天蓬は、これまでの会話ではなく、その戦闘が終わって自室に戻り、何時もの煙草吸い吸いの無駄話をしている場面を見ていたようです。
「 ………… …待たせ、しました 」
と、妙に何を見ているのかが読者に良く分かる台詞に始まり、
「 …… ええ、大丈夫ですよ 」
「 そうなんです、眼鏡壊されちゃって。」
「 ――――― あれ 落としたかな …… すみませんライター貸してもらえます?」
描かれている絵は既に、実際に倒れこんだ天蓬から離れ、爆破で壊れてはいるものの、何時もの執務室になっています。
捲簾と二人で煙草を吸う際に使っていた蛙灰皿にひびが入り ・・・。
「 …………… ふ … 」
「 ――――― え? ああ、いえね 」
「 煙草が美味しいなぁと思って 」
ああ、結局二人は、意識の中ではずうっと一緒に居たんだな!とか、
だから、今生の別れであろうという時にさえ、あんなに突き放したような冷淡さだったのか!!
と、改めて思ってしまいました。 ← (ーー;).。oO ( 単細胞!!)

こういった客観的に陰惨と呼べる死に対して、ある意味、これを無理矢理に綺麗な最期として描いているとは思います。
この場合、天蓬の客観視はある時点で早々と放棄して、主観に物語を譲ってしまっているのです。
わたしが自分で勝手に 『 ホテル・ニューハンプシャー方式 』 と命名している手法ですが、別にそれで哀しさが軽減されるわけでもなく、結果が変わる訳でもないのに、何となく救いを見い出せる気がして、ほっと出来ると思われませんか?
『 ホテル・ニューハンプシャー 』 では、短い間に次々に家族を亡くした一家の生き残り&負傷組が、新しく買ったホテル ( 最早客を呼ぶことも叶わず、単に広過ぎる屋敷となっている ) に、そうなる前の家族・友人が全員揃い、生者・死者が入り混じって共に集い、楽しげに語り合い、笑い転げているシーンで終わります。
また、『 シド・アンド・ナンシー 』 という映画も、麻薬事故で情けない死に方をしたナンシーと、薬の影響と共にこの世に残されて呆然とするシドが、同じように楽しそうに微笑み合ってダンスするシーンをラストに選んでいます。
本来、有り得ないのだけれど、見るものの大半がそれで納得してしまい、わたしならずとも歓迎する向きが多いということでしょう。
過去映画の中では、この手法が度々用いられてきました。 ( 小説ではちょっと難しいが、漫画ならOKですよね。)
決して嫌いではない手法です。
ましてや、それが決して不幸ではなかった良い思い出に繋がっているとあっては、尚更でしょう。
実際には血みどろで戦っていたり、深手を負っていたり、姿が描かれぬまま部屋の描写になる ( 此処で多分こと切れていると思われる ) ものの、この時の天蓬の主観には、捲簾との穏やかな日常が未だ続いているかのような、そういう認識があったに違いありません。
この天蓬の最期にも、やはりある程度の納得と安堵を覚えました。
ところで ・・・。
救済を欲しがる読者や、オーディエンスのために、これまでの記述とは逆に、悲惨であり続けた生に対して、楽しげで安らかな死をもって来る作品も多いようですね。
『 フランダースの犬 』 など、その典型でしょうか?
最近では、『 あらしのよるに 』 も、その仲間だと知りました。
やはり、そのどちらかになった方が、気持ちが落ち着くように感じるのは、わたしが甘ったれだからなのでしょうか?
自分でも、時々、「 頭の中がお花畑~~♪」 だなどと、嘯いていますから、ま、そうなのでしょう。
でも、セックスという名の快感に置き換えられた、毎日が地獄の物語を延々描き続けるよりは、余程マシだとわたしは思います。
・・・ つか、そんなに毎日拷問もどきのセックスがしたいなら、自分がとっとと外に出て、そういうサド侯爵みたいな相手を探しゃいいだろうに、何だって、普通に描かれる男性二名を、無理矢理そう呼ばわるんでしょうね?
自分でやって、とっとと殺されて新聞沙汰にでもなっちまえってのっ!!
![Comic ZERO-SUM (コミック ゼロサム) 2008年 11月号 [雑誌]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51M6Bq3yshL._SL160_.jpg)
WARD 2008年 11月号 ZERO-SUM 11月号
単純にストーリーを説明すると言うより、自分で視点を決め、その前の捲簾の最期に絡めて、わたしなりにエッセイ風に書いてみましたが、当然にネタバレは有りますので、未だ読んでおられない方は御注意下さい。
この回までで、一応、天蓬元帥と捲簾大将とが、外伝の舞台から ( 想い出としては兎も角、物理的には ) 消えてしまったわけですが、それにしても 『 死ななければ、現世編に繋がらない 』 と得心して読んでいてさえ、共に何とも、無慈悲で悲惨な死に方であったという感想でした。
先ず何と言っても、仲が良さそうで、息が合っていた二人が、同じ場所で死ねなかったということ。
( 今、此処で、『 分かり合った二人だからこそ、各々の役割を果たしたのだ。 敢えて共に逝く必要は無く、二人ともそれを望む甘ったれでは無かった 』 ・・・ なぁんて、言わないで下さいよ?
以降もそうですが、一般的な認識に基づいているつもりですので!)
普通に考えて、縁の深かった二人ですから、一緒に逝くとか、せめてどちらかがどちらかを看取って欲しかったと思います。
ま、そうなると分かっていて、軽く離脱を許した天蓬、笑って残った捲簾共に、覚悟を決めてのことだったのでしょうから、結局は先に書いた括弧書きの通りだったのかも知れませんが、それにしても、それは二人が必要に迫られた挙句、取った行動であり、望んでしたことではなかったろうことを考えると、尚更に哀れな気がします。
理論的に、『 こちらが正しい 』 と気付いてさえおれば感情には流されない、意地っ張り同士の付き合いであったのでしょう。
外伝第三巻で、天蓬に反駁した元部下、円雷の台詞に、「 何のことはない 巫山戯(ふざけ)た者同士気が合ったという事か 」 というのがありましたが、いや、実は、片や天然ボケ、片やおちゃらけ ・・・ 普段他人に見せていた、こんな姿とは違う実態を持っていた者同士で気を合わせて、馴染んでいったのかも知れない。 わたしには、そんな風に思えたものです。
それで、出遭ってからそう日にちも経っていなかったにも関わらず、短い間に気の合った友人同士となり、捲簾が先に関わってしまったトラブルに、天蓬がいとも簡単に参加して命を懸けてしまった ・・・。
きっと、人に馴染み難いと言いながら周囲に笑顔を振り撒いてきた天蓬にしても、態度と言葉は乱暴ながら、人懐っこく冗談の多かった捲簾にしても、同じくらい、本性を見せて付き合える友人に飢えていたのでしょう。
二人が二人とも、軍隊などという集団生活で、人に囲まれるようにして生きて来ていながら、存外孤独な魂を癒せずにいた、似た者同士であったのではないか、と思いました。
更に、両者とも、世に言う 『 眠るように安らかに息を引き取って 』 とは、凡そほど遠い、凄惨な死を迎えています。
捲簾は巨大熊 ( 哪吁零号機?) に食われるという、即死にすらなれない状況。
天蓬も、体から零れ出た内臓を引き摺って歩くという始末。 それでもなお責任感から開放されず、手の指で床を引き寄せるように前に進もうとした ・・・ そんな、天蓬らしいといえばらしい、凄惨な死に方をしてしまいます。
世の中には、もうちょっと楽な死に方だって、沢山あるだろうに、何で子供相手にこんな死に方を見せる? ・・・ と、そう思わざるを得ませんでした。
ただ、わたしも望んだように、作者もまた、そこに幾つかの救済を書き込んだ様子だけは、見て取れました。
捲簾が、音と気配だけの情報とは言え、敖潤にその死に様を知って貰えたこと以外にも、
二人共が、精神的にはそれで充実していたらしい ・・・ つまり、客観的にでなく、主観的には安らかで穏やかな死であったと ( 強引に ) してしまって、逃げを打ったらしいのです。
捲簾は、自分が哪吁零号機の生存の糧になり得たと想像し、「 生きて生きて生きて生き抜いてやれ!!!」 の思いを天蓬たちに託し、その姿を想像しながら食われてしまいます。
その際、先へ逃がした三人を思い浮かべているのですが、一番親しかった筈の天蓬だけが、「 またな 」 という台詞はあるものの、足とか後姿だけなんです。
先まで読み進んで、直ぐに天蓬が後を追ったところから逆算すれば、まるで捲簾が、『 少なくともこいつとだけは、また直ぐに会える 』 と分かっていたかのようでした。
そして、ちゃんとした前からの姿さえ描かれなかった天蓬は、成る程、その後もまるで、捲簾とずっと行動を共にしているかのように振舞い続けます。
しかも、想像の中では、二人が常に、何も事の起きなかった日々の穏やかな日常に居るように感じているのです。
物語中にも登場した、出会って間もない頃の、
「 ――― あんたにとって 生きてるって感じんのはどんな時 」
「 煙草が美味しいと思う瞬間ですかね 」
「 …… ははッ 違いねぇや 」
って奴とか、その後の交流の中であったと思われる、
「 …… あれ どこやったかなヘアゴム
あ ――― そうだ 軍服のポケットかあ
… ポケットの中に物入れたまま クリーニングに出すと怒られるんですよねぇ 」
・・・ などという、ごくごく平凡な場面を天蓬は思い出し続けるのでした。
しかし、捲簾の熊に対して、自身を糧として云々という理屈と同様に、これらはあくまでも天蓬の主観であって、客観的には冷徹な表情を浮かべ、顔に刃物が当たろうと全く動じず、鬼神のような戦い振りを披露し続けています。
その中で、想像しているのもやはり、
「 ――― あ そうだ
買い置きの即席ラーメン 食べるの忘れてた 」
「 トイレの電球切れてたし 」
「 ――― あの本、どこまで読んだっけ?」
・・・ 卑近な、と評して良いほどの平々凡々たる日常生活。
「 ……… あーあ、眼鏡。」
「 だいぶ前にスペア買っておいた筈だけど そういや最近見かけなかったな 」
「 ――― まぁ そのうち出て来るか 」
「 いつものようにあの人が、僕の部屋を 掃除してくれた時にでも 」
ここで読者に、二巻で出て来た捲簾の世話女房のような生活が、幕間にも続いていたことが知らされるのですが、またしても、それは凡庸な日常のひとコマです。
更に、力尽き、倒れて後の死の間際に、天蓬は、これまでの会話ではなく、その戦闘が終わって自室に戻り、何時もの煙草吸い吸いの無駄話をしている場面を見ていたようです。
「 ………… …待たせ、しました 」
と、妙に何を見ているのかが読者に良く分かる台詞に始まり、
「 …… ええ、大丈夫ですよ 」
「 そうなんです、眼鏡壊されちゃって。」
「 ――――― あれ 落としたかな …… すみませんライター貸してもらえます?」
描かれている絵は既に、実際に倒れこんだ天蓬から離れ、爆破で壊れてはいるものの、何時もの執務室になっています。
捲簾と二人で煙草を吸う際に使っていた蛙灰皿にひびが入り ・・・。
「 …………… ふ … 」
「 ――――― え? ああ、いえね 」
「 煙草が美味しいなぁと思って 」
ああ、結局二人は、意識の中ではずうっと一緒に居たんだな!とか、
だから、今生の別れであろうという時にさえ、あんなに突き放したような冷淡さだったのか!!
と、改めて思ってしまいました。 ← (ーー;).。oO ( 単細胞!!)
こういった客観的に陰惨と呼べる死に対して、ある意味、これを無理矢理に綺麗な最期として描いているとは思います。
この場合、天蓬の客観視はある時点で早々と放棄して、主観に物語を譲ってしまっているのです。
わたしが自分で勝手に 『 ホテル・ニューハンプシャー方式 』 と命名している手法ですが、別にそれで哀しさが軽減されるわけでもなく、結果が変わる訳でもないのに、何となく救いを見い出せる気がして、ほっと出来ると思われませんか?
『 ホテル・ニューハンプシャー 』 では、短い間に次々に家族を亡くした一家の生き残り&負傷組が、新しく買ったホテル ( 最早客を呼ぶことも叶わず、単に広過ぎる屋敷となっている ) に、そうなる前の家族・友人が全員揃い、生者・死者が入り混じって共に集い、楽しげに語り合い、笑い転げているシーンで終わります。
また、『 シド・アンド・ナンシー 』 という映画も、麻薬事故で情けない死に方をしたナンシーと、薬の影響と共にこの世に残されて呆然とするシドが、同じように楽しそうに微笑み合ってダンスするシーンをラストに選んでいます。
本来、有り得ないのだけれど、見るものの大半がそれで納得してしまい、わたしならずとも歓迎する向きが多いということでしょう。
過去映画の中では、この手法が度々用いられてきました。 ( 小説ではちょっと難しいが、漫画ならOKですよね。)
決して嫌いではない手法です。
ましてや、それが決して不幸ではなかった良い思い出に繋がっているとあっては、尚更でしょう。
実際には血みどろで戦っていたり、深手を負っていたり、姿が描かれぬまま部屋の描写になる ( 此処で多分こと切れていると思われる ) ものの、この時の天蓬の主観には、捲簾との穏やかな日常が未だ続いているかのような、そういう認識があったに違いありません。
この天蓬の最期にも、やはりある程度の納得と安堵を覚えました。
ところで ・・・。
救済を欲しがる読者や、オーディエンスのために、これまでの記述とは逆に、悲惨であり続けた生に対して、楽しげで安らかな死をもって来る作品も多いようですね。
『 フランダースの犬 』 など、その典型でしょうか?
最近では、『 あらしのよるに 』 も、その仲間だと知りました。
やはり、そのどちらかになった方が、気持ちが落ち着くように感じるのは、わたしが甘ったれだからなのでしょうか?
自分でも、時々、「 頭の中がお花畑~~♪」 だなどと、嘯いていますから、ま、そうなのでしょう。
でも、セックスという名の快感に置き換えられた、毎日が地獄の物語を延々描き続けるよりは、余程マシだとわたしは思います。
・・・ つか、そんなに毎日拷問もどきのセックスがしたいなら、自分がとっとと外に出て、そういうサド侯爵みたいな相手を探しゃいいだろうに、何だって、普通に描かれる男性二名を、無理矢理そう呼ばわるんでしょうね?
自分でやって、とっとと殺されて新聞沙汰にでもなっちまえってのっ!!
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